
(1826年、ヴィセンテ・ロペス・イ・ポルターニャ)
フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco José de Goya y Lucientes, 1746年 - 1828年)は、スペインを代表するロココからロマン主義への過渡期を代表する画家であり版画家です。美術史において「最後のオールド・マスター(巨匠)」であると同時に、「近代絵画の創始者」とも称され、後のエドゥアール・マネやパブロ・ピカソなど、多くの芸術家に多大な影響を与えました。
生涯と画風の変遷
ゴヤの芸術は、彼の人生の出来事と密接に結びついており、時期によって劇的に画風が変化するのが特徴です。
- 宮廷画家としての成功(初期〜中期)
初期はロココ調の明るく華やかな画風で、王室のタペストリー(壁掛け)の下絵などを手掛けました。その後、才能を認められて首席宮廷画家にまで登り詰め、《カルロス4世の家族の肖像画》など、写実的でありながらも対象の性格まで描き出すような優れた肖像画を多数残しました。 - 聴力の喪失と内面への眼差し(転換期)
1792年(46歳の時)、原因不明の重病に倒れ、完全に聴力を失います。音のない世界に閉じ込められたことで、彼の関心は外界の美しさから、人間の内面、狂気、社会の腐敗、迷信といった「闇」の部分へと向かうようになります。 - 戦争の惨禍(後期)
1808年からのナポレオン軍によるスペイン侵攻(半島戦争)を目の当たりにします。この時期、戦争の残酷さ、人間の愚かさ、民衆の苦しみを容赦なく描いた作品を次々と生み出しました。 - 《黒い絵》と孤独な晩年
晩年、マドリード郊外の「聾者の家( Quinta del Sordo)」と呼ばれた自宅の壁に、暗くおどろおどろしい14点の壁画(通称《黒い絵》)を描きました。その後、スペインの専制政治を嫌い、自由を求めてフランスのボルドーへ亡命し(フェルナンド7世の反動政治を避けて自発的にフランスへ移住したという説もあり)、82歳でその生涯を閉じました。
代表的な作品
ゴヤの作品は多岐にわたりますが、特に有名なものをいくつか挙げます。
- 《裸のマハ》《着衣のマハ》(1797–1800年頃)
全く同じポーズで横たわる女性を、裸体と着衣の2つのバージョンで描いた作品。当時、神話の女神以外の「現実の女性の裸体」を描くことはタブーであり、後に異端審問所に喚問される原因にもなりました。 - 《1808年5月3日、マドリード》(1814年)
ナポレオン軍に対して蜂起したマドリード市民が、無残に処刑される瞬間を描いた作品。中央の白い服を着た男の姿が鮮烈で、反戦絵画の歴史的傑作として知られています。 - 《我が子を食らうサトゥルヌス》(1819–1823年頃)
晩年の《黒い絵》シリーズの中で最も有名な作品。権力を奪われることを恐れ、自分の子供を次々と飲み込むローマ神話の神を、狂気に満ちた恐ろしい筆致で描いています。 - 版画集《ロス・カプリチョス(気まぐれ)》(1799年)
「理性が眠ると怪物が生まれる(El sueño de la razón produce monstruos)」というテーマのもと、当時のスペイン社会の迷信、魔女狩り、貴族や聖職者の堕落を鋭く風刺した版画集です。




